「ベビーシッターって、結局は他人でしょ?」
以前の私も、どこかでそう思っていました。
確かに血のつながりはないし、最初は“お願いして来てもらう人”という距離感だったと思います。
でも、利用を重ねるうちに、その感覚は少しずつ変わっていきました。
気づけば生活の中に自然に組み込まれていて、「いないと困る存在」になっていたんです。
年にすると、東京都の助成をフルで使っているので144時間ほど。
決して一時的な利用ではなく、長く関わってきたからこそ見えてきた関係性があります。
この記事では、
ベビーシッターは「家族」でも「他人」でもないと感じるようになった理由を、
日常のエピソードを交えながら書いてみようと思います。
ここまで来る前に、多くの家庭が一度つまずくポイントがあります。
なぜ定期が取りにくいのか、その背景を整理した記事もあります。
ベビーシッターは「一時的な外注」ではない
生活インフラとしての存在
長く使ってみて感じるのは、ベビーシッターは「困ったときの特別対応」ではなく、
生活を回すためのインフラに近い存在だということです。
水道や電気ほど当たり前ではないけれど、あるのとないのとでは、生活の余裕が全く違う。
「今日は来てもらえる」というだけで、一日の組み立て方や気持ちの持ちようが変わります。
土日祝を支える育児パートナー
我が家では、特に土日祝の存在感が大きいです。
平日は仕事や育休で何とか回っていても、休日は
- 親も休みたい
- でも子どもは元気
という現実があります。
そんなとき、一緒に子どもを見る育児パートナーがいる感覚は、本当に助けられました。
「全部任せる」のではなく、「一緒に支えてもらう」存在。
それが一番しっくりきています。
子どもが見せた変化
名前を呼んで待つ
関係性の変化を一番教えてくれたのは、子どもでした。
シッティングの日になりシッターさんが自宅に来ると
「〇〇せんせー!」とテンションMAXでお出迎えするように。
その姿を見たとき、「この人はもう“知らない人”ではないんだな」と感じました。
取り合いが起きる関係性
兄弟がいると、
「今日はどっちが〇〇さんと遊ぶの?」
と、ちょっとした取り合いになることもあります。
それは、子どもにとって安心できる大人の一人として認識されている証拠なのかもしれません。
親としても、その姿を見ると自然と信頼が深まっていく感覚がありました。
信頼の正体は「血縁」ではない
時間と一貫性
ここまで関係性が変わった理由を考えると、血のつながりではないことは明らかです。
大きかったのは、たぶんこの2つです。
- 定期的に会っていること
- 接し方が毎回ブレないこと
この時間と一貫性が、信頼を作っていったのだと思います。
家庭を尊重してくれる姿勢
もう一つ大切だったのは、
「この家庭はこうしたい」という方針を尊重してくれる姿勢でした。
やり方を押し付けるのではなく、こちらの考えを聞いたうえで寄り添ってくれる。
その積み重ねが、
- 「お願いしている人」
- 「一緒に家族を支えてくれる人」
へと、少しずつ変わっていきました。
ベビーシッター探しは、
気持ち・構造・戦略が全部絡み合っています。
全体像から整理したい方は、こちらの記事から読み直してみてください。
おわりに
ベビーシッターは、家族でもないし、最初から身内のような存在でもありません。
でも、時間を重ねることで、
他人以上、身内未満のような、独特の関係性になることはあります。
もし今、
「そこまで信頼できる気がしない」
と感じていても、それはとても自然なこと。
信頼は、最初からあるものではなく、
一緒に過ごした時間の先に、静かに育っていくものだと感じています。





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